「学力の重要な要素」を@基礎的・基本的な知識・技能の習得A知識・技能を活用して課題を解決するために必要な思考力・判断力・表現力等B学習意欲―の3つと規定。
しかし、知識と活用力と意欲を3つに分離して捉えるのは、学力の構造論としても原理論的にも乱暴すぎないか。しかも、この定義に従って何をやるかといえば、「音読・暗唱」「反復学習」「レポート作成、論述」である。論述はA4・1枚、1000字程度と形式と量まで厳密にワクにはめられている。
これではまるで、素人の“俗論”。買物帰りのお母さんたちの雑談レベルではないか。おまけに、各教科の「重点指導事項例」を細かく指示している。これらの習得状況を「全国一斉学力テスト」などでチェックする。つまり、「全国一斉学力テスト」をテコに、学力低下不安の世論を受け止めたかのような形で、毎授業に至るまで有無を言わせぬ国家管理と統制を敷こうというのである。さらに、元来アメリカにおける企業の労働者管理思想とシステムである「PDCA」サイクル(計画→実行→点検→行動)を、日本全国の学校に適用しようというのだから、無謀としかいえない。
また、学力向上のための時間増も、「朝読書」「ドリル」「夏休み短縮」などを教科時数繰り入れるという姑息な手法。何というつじつま合わせ。これでは恥ずかしい。これに習熟度別授業をさらに徹底させるというのだから、学力の二極化と固定化は避けられまい。
今回で7回目の学習指導要領。もう失敗は許されないのだ。
国づくりのビジョンや未来へのグランドデザインが明確でないまま、文化的にも思想的にも「鎖国」状態の精神的閉塞状況の中での「多文化共生」では、小5から始めるという「外国語活動」が実を結ぶ道理がないではないか。あまりにも机上の空論と批判せざるを得ない。
これでは、学力に関して言えば、低下を促進する“羅針盤”であることは疑いようがない。子どもと教師の心と体まで蝕みかねない。
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